思ったこと、考えたことを残したい

いつか振り返った時に、こんなこと考えてたんだって思うために

○_3月11日

 

どうしても今日、投稿したかったこと。

東日本大震災から、8年。今年も14時46分に黙祷をしました。

実は先日、石巻市を訪れる機会がありました。観光でいちご狩りをしに行きました。

そこでいちごを頬張り(とても甘くて美味しかったです)、海沿いを訪れて感じた8年の日々と自分自身への影響を考えることができました。

 

東日本大震災は当時まだ15歳だった私にとって、受け止めきれないほど大きな出来事でした。埼玉に住んでいた私は誰を失うこともなく、家の食器が割れてしまったことや、近所のブロック塀が倒れたこと。そして軽い帰宅困難に巻き込まれたことや、計画停電ぐらいしか経験をしなかったはずなのですが、歳を重ねるにつれて、東日本大震災は私の価値観に大きな影響を与えていると気づくようになりました。

 

そして最近は、私だけではなく多くの同世代の人々も潜在的に影響を受けているのではないかと思うんです。日々の忙しさに惑わされることのない多感な頃に直面したことが、大きな理由なのかも知れません。

 

 

私は、当たり前に来る明日がいつか急に来なくなるかも知れない現実を、当時の映像や被災者の話から感じ、完全に理解はできずとも10代なりに受け止めたんだと思います。その経験が種となり、成長をするに連れて芽を出し、私の価値観の一片を形成していると感じています。

 

私が転職を検討している、「とりあえず3年」という言葉が全く理解できませんでした。3年後何が待っているのか、どうなっているのかなんてわからないです。時代は流れますし、現代の価値観で未来を語っても仕方がないと思っています。

時代に流されるのであれば、自分がしたいこと、やってみたいことを大切に今を生きることが自分自身の価値を見出すために必要なことではないかと。だから迷った末に少し不安定になる覚悟をして、転職を決めました。

 

そして、もしかしたらこんなこと考えているのは、私だけじゃないんじゃないかなと思うことが最近多いのです。転職する友人たち、就職しない友人たち、副業をする友人たち。会社に入らないことが自分の価値を追求することではないと思います。そして制度として選択肢が増えたからというのも理由だと思います。でもやはり、そういう道を積極的に探して進み、将来を待つのではなく、将来に繋げようとしている人たちが多いと感じます。

 

少なくとも私は、彼らを見て「そんな安定のないことをして将来どうするんだろう」とは全く思いません。たぶんそれは、将来が誰にでも来るわけではないことを知ったから、友人や他人がいわゆる「普通の人生の歩み」を進めていなくても、彼らの考えを素敵だと思えるようになりました。そしてそのようなチャレンジができることをとても尊敬しています。

 

私が上司に「いつ死んでしまうかわからないから、今やってみたいことをやりたいんです」と伝えると、「人はそんな簡単に死なないし、死ぬ人のほうが少ない。将来のキャリアのことを考えた方がいい」と言われました。

リーマン・ショックの影響を大きく受けた人々(例えば就職難など)は全く違う考えを持っているのだと思います。

経験してきていることが違うから、価値観が違うのは当たり前だと思います。そしてその溝を埋めることは難しいのだと社会に出て知ることができました。

 

上の世代の方々からしたら、私たちの世代は少し生き急いでるのかも知れません。

回り道が苦手かもしれません。

それはきっと、いつか明日が来なくなってしまう前に何かを残したい。そんな思いが強いからだと思います。

 

 

私は大切な人と喧嘩別れをしたくはありません。たとえ次に会う約束をしていてもです。言いたいことは、言いたい時に言う。明日言えるかわからないからです。ありがとうも、ごめんなさいも、思いは思ったときに伝えたいのです。

小さい事かもしれないけれど、私が震災を経て大事にするようになったことの1つです。まだ上手に伝えられないことも多いのですが…。

 

東日本大震災は今までもこれからも、私の人生において1つの大きな起点であったことは間違いありません。だからこそ震災を忘れずに、家族、友人、恋人と向き合う時間を

大切にしていきたいと思います。

 

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。